2015年11月25日
八重山日報の場合は
僕は前から言っているのだが、政治の場で沖縄にはいつも一つの意見しか存在しない。それが沖縄の民意だとか、総意だとか、オール沖縄とかという言葉でくくって鑽石能量水、それ以外の意見をどこかに粛正してしまう。民主主義はAという意見とという意見があって、多数決の結果、
という意見に決まりましたということなのではないか。しかし、沖縄ではカッコつきの「民意」以外のさまざまな意見はすぐ粛正されてしまう。沖縄の社会には、そういう民主主義的でない空気があるのだ。普天間でも、辺野古でも、八重山でも、現場住民にはひと色ではない意見があるのに、それらは常にないことにされてしまう社会。それは空氣清新機、どこかの独裁国家にも似ている。
僕が覚えているのは、辺野古区が市長に基地反対派のテントが辺野古区民の生活の安泰を脅かしているので撤去してほしいという要請を出したが、その要望を無視し、反対派を激励したというのだ。それが彼の政治スタイルなら、まあ仕方がないが、市長はその行為で辺野古区をトカゲの尻尾切りにしたということではある鑽石水。もともと久志村がキャンプ・シュワブを誘致し、名護町は併合して経済的恩恵を手にした立場なのだが。