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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2013年12月31日

そう言えば

短編小説の中でも、非常に短い小説の事を『掌編(しょうへん)小説』と呼ぶ。
”掌”は、てのひらのこと。
最近よくあるケータイ小説も、このような短い小説。
掌編小説という呼び方は、日本だけの呼び名で、かなり昔からあるが、
誰がこの言葉を思いついたのか牛欄牌回收
ケータイで、まさに、”てのひら”にのっけて読む小説と、
いつの間にか、その名の如くになっている。

”掌” のことを ”たなごころ” とも呼ぶ。
「タナのこころ」という事になるが、
この「タナ」は、「手の」という音が訛(なま)ったものという説がある。
すなわち、「手の心」。
いわば、「手には、心があるぞ」という意味になるだろうか。

また、この”掌”を使った慣用句に、
「掌(たなごころ)を指すように明らか」という言葉がある。
使い方としては、「彼の無実は、掌を指すように明らかだ」
のように使われる牛欄牌奶粉
意味としては、「極めて明白で、疑問の余地がないようす」となる。

「”掌”を指すように」というのは、何とも奇妙な表現だと思って調べてみると、
出典は、『論語』八佾(はちいつ)第三。
そこに出てくるのは、
一つの逸話。

ある人が「天帝の儀式の意義」とは何ですか?
と孔子に訊いたところ、
孔子は、「私はそんなことは知らない」と答え、
「そんな事を知っている人物がいるとすれば、
天下はここにあるようなものだな」と掌を指した、
というところから来ている。


そう言えば、今は ”掌” にあるスマホで何でもできる時代。

電話をかける事、調べもの牛欄牌問題奶粉、地図、ナビゲータ、
まさに”掌”を指せば、何でもできてしまう。

孔子は、それを予言していた?!  


Posted by stairhee at 10:48Comments(0)牛欄牌

2013年12月17日

人から見ると

50年したら、実家に帰ってくると言った息子。
5年ならわかるが、50年。
定期預金でいえば、50年満期。
利子は? 元本は? 
預けた銀行は、50年も経営破たんせずに健全に営業されているのか?
通貨自体が史雲遜、変わっているかも知れない。国家自体も?

彼は、そもそも、子供の頃から、「おじいさんに、なりたい」と言っていた。
なにを考えているのか、よくわからない息子であるが、
わたしの変人ぶり、偏ったガンコぶりが、遺伝していないことを祈るばかりだ。


なんの見返りも求めない、無になれる行為。
人から見ると、まったく意味のない
無益なものに没頭できる楽しさを、見つけ始めた、わたし。
究極の境地にまでは、まだ、まったくたどり着いていない。
たんに、スタートしただけである雪纖瘦纖體
最初の第一歩。
そういう境地があるという、予告編のようなものを見て、知った段階。
(そこで、止まるかも知れないが)

今までまるで理解できなかった、「どこがよくて?」の不思議感。
ランナーズハイのような、険しい山に登る登山者のような、とても辛そうなのに、本人たちは快感に満ち溢れている。
あそこまで、ストイックな分野、レベルではないにしても。

これが、人の役に立つ分野なら、マザーテレサになれるのだが、
残念なことに、自己満足分野に止まって収まっている。
そこらあたりが、小市民牛欄牌問題奶粉
小さい人間のほうが、幸せを得やすい、と実感する。  


Posted by stairhee at 11:24Comments(0)牛欄牌

2013年12月03日

受賞とか入選とか

今、ショートショートその三の執筆を始めた。
とはいえ、十五年前に書いた、私にしては珍しい、ちょっと不思議なエロティシズムが漂う作品を原稿用紙五枚にまとめただけであるけれど。とりいそぎ、五枚に集約し、再度防刮花保護膜、手を入れるのである。

そのプリントされた原稿を見ていたら、これも某掌編コンクールに応募していた。
すっかり忘れていた。著名な文学賞への応募、十回のはず。それから、掌編コンクールにも、同じぐらい応募していたのだろう。仮に、総回数二十回と推定すると、私は一度も入選さえしていない。見事である。もちろん、私のような方々は、相当数いらっしゃると思う。

受賞とか入選とか、なんぼのもんじゃいなどと負け惜しみを言いたいのではなくて、
やはり、大体の物事は十年ぐらいでプロの域にOtterBox防水手機保護殼、普通は行くことを考えれば、この結果は、やはり、才がないと理解するべきだと思う。審査員の見る目がどうのこうのなんて思わない。だって、やはり、受賞作は、みな、流石であるから。と、客観的に考えてみる。ちと、寂しいといえば寂しいけど。

で、以前にも一度書いたけれど、たとえば、私が、なんらかのジャズピアノのコンテストに出たとする。もう、絶対に受賞とかはありえない。我流とか邪道とか、でたらめとかとの評が飛び交うはずである。でも、一部の熱狂的マニアに支持される。この構図が、はっきりと目に浮かぶ。

どうも、私自身のトーナリティーが、こういうマニアック系にしか行かないようである。
なんか、これはこれで牛欄牌奶粉、天性のアンダーグランドだと思えば、ひとつの才能ではあるかもしれなくもなくもなくてぇーもじもじもじ。でも、こんだけ日の目を見ないと、吸血鬼になっちゃうよぉーーー。審査員の方々に噛み付いちゃったりして.....。  


Posted by stairhee at 17:07Comments(0)diary